(※長くなりますのでゆっくりとお読みください)
エコラン鈴鹿大会
5月13日土曜日、Hondaエコマイレッジチャレンジ鈴鹿大会(以下エコラン)が三重県の鈴鹿サーキットで開催されました。僕達自動車部にとっては1年で最大のイベント。このために秋のDDC終了後から冬、春とマシンを作り、調整をしてきました。当初計画していたインジェクションエンジンは加圧の問題により搭載を見送り、キャブレター式での参加となりました。このキャブレターが機嫌を悪くしたことでこの後出走を危ぶむことになるのはまだ先の話。
朝(未明) ー生憎の大雨ー
午前2時30分、起床。前日に「ゲートオープンは4時だから4時に集合」とか言っていた僕でしたが、自宅から会場に向かう僕は既に遅刻確定(自宅からは約2時間)。しかし、それよりも起きた瞬間に窓を打ち付ける雨の音が一抹の不安を感じさせました。予報でわかっていたことではありますが、思っていたよりも雨は強かったです。
午前3時前、自宅を出発。国道23号線を一路西へ。途中三重県に入ったあたりから雨は更に強くなってきました。元々愛知よりも三重のほうが雨は強いので覚悟はしていましたが予想以上の大雨でした(秋のDDCなら中止になっているでしょう)。
朝~午前中 ―追い込みと車検―
僕が会場に到着したのは午前5時前。既にマシンも到着し、作業が始まっていました。作業というのは最後のカウリング。当日最終調整以外の作業しているチームはうちぐらいでしょうか。しかし、それが出来るのもプラダンカウルの良さかもしれません。
午前6時、恒例のコースウォークが始まりました。今年のドライバーとドライバー経験者の部長が行き、僕と後輩はカウリングを続けました。6時10分からは公式車検も始まりました。しかし、車検には完全装備のドライバーが必要なため、コースウォークから戻ってくるまでの間にカウルを完成させます。
車検を受ける前には受付のようなものを済ませる必要があります。これが完全に屋根のない屋外。雨も降る中、僕もマシンも濡れながら順番を待ちます。この雨が後に僕達を苦しめることになります。
受付を済まして7時15分、車検を受ける準備が整い、車検待ちの列へ。列はピットの軒下なので雨を凌ぐことが出来ます。7時30分からはドライバーズミーティングがあるので車検は一時中断。その後の車検ではドライバーを覆う上面のカウルが風に煽られてめくり上がることとマシン下面のオイルについての指摘があったものの無事にパス。ブレーキチェックも濡れた金属板の上でのチェックにブレーキが効いても滑り落ちるマシンが続出の中、微動だせずにパス。続いて坂道でのブレーキテストを経て、練習走行へのレギュレーション上の準備が完了しました。マシンは練習走行出走前の確認のため一旦ピットへ。
最初にして最大の試練
結局午前8時をとうに過ぎた頃に車検を通過し、一旦ピットに帰ってきたマシン。練習走行に向かうため、車検で指摘された部分を改善するとともにエンジンの調整をすることに。ここで今大会最初にして最大の試練が僕達を襲います。
―どれだけセルを回してもエンジンがかからない
ある意味油断していたし、恐れてもいました。致命的です。大会への出発前、部室で試したときはエンジンは確かにかかっていました。会場ではその日の天候に合わせた調整をするだけだと思っていたところへ唐突にぶつかった壁。しかし、エンジンはかからず、マフラーから生ガスを吐き出すのみ。ただ僕らも今のエンジンに関わって4年以上の経験があります。あらゆる可能性を疑いました。いつものようにプラグの調子が悪いのではないか、バッテリーの電圧は足りているか、燃調があっていないのではないか、配線に異常はないか。そしてなんとか解決しようと色々試しました。プラグは新品に交換し、バッテリーも満充電したものに替え、エアーフィルタも替え。CDIも交換し配線各所の通電をチェックしました。それでもエンジンはかかってくれない。結局練習走行の出走期限である11時15分までには解決せず。練習走行への出走を断念しました。
ここで今年のドライバーの話を少し。当初は僕の同級生である4年生がドライバーを務める予定でした。しかし、GW前に留学の面接で東京へ行かなければならないことが判明。彼もなんとか日程を調整しようとしてくれましたが残念ながらドライバーを交代することになりました(それでも時間の許す限り東京とは真逆の鈴鹿まで来てくれたことは感謝しかありません)。そこで急遽5月1日に3年生の後輩がドライバーをやることに。当日まで一度もマシンを動かすことなく迎えたので、なんとか練習走行を走らせてあげたかったのですが、僕の力が及びませんでした。
再びエンジンに話を戻すと、思いつく限りの対策を講じたところで最も恐れていた一つの仮説が現実のものになろうとしていました。
―エンジンが水をかぶったでのはないか
大雨のとき冠水した道路に入った車が動けなくなることがあります。雨で浸水した後にバイクが動かなくなることも同様ですが、あれにはいくつかの原因が考えられます。
一つはウォーターハンマー現象。これはエンジンのシリンダーが浸水することで起こります。水は圧縮できないので圧縮パワーがコンロッドやシリンダーを破壊してしまう現象ですが勿論これが起こっていないことは確認できます。
二つ目は浸水によって回路がショートしてしまう場合。これもセルが回っているし、スパークプラグから火花は飛んでいる上、バッテリーは浸水しないように保護していたので問題ないはず。
三つ目はキャブレターを含む吸気系が浸水した場合。特にエアクリーナーから浸水するケースがあります。エアクリーナーが浸水するとエンジンはそこから吸気するので水がエンジン内部に流れ込んでしまいます。すると燃焼できなくなってエンジンがかからなくなります。
一番可能性が高いのは三つ目。エアクリーナーはカウルの外に一部が出ています。しかも受付のときカバーは付いていませんでした(車検待ちのときにカバーを付けました)。しかし、前述したようにエアクリーナーはピットに帰ってきてから新品に交換しました。それでもかからないとなると、可能性としてはキャブレター内部や配管を伝ってエンジン内に水が入っているということです。これを取り除こうと思っても水抜き剤もヒートガンもないし、エンジンをバラす訳にはいかない。そこで、僕はキャブレターを取り外し、内部に入っているであろう水を全て手作業で抜き(拭き取り)、エンジンの方は自然乾燥に任せることにしました。既に時刻は正午。本戦出走まで2時間となっていました。
午後 ―最後の希望―
メカニックとして大会メンバーになっている以上、僕が諦めるわけにはいきません。昼食は数分で済ませて水抜きを始めます。
まず、スロットルワイヤを外し、続いてキャブレターをエンジンから取り外し、エアクリーナーを外します。さらにキャブレターを分解し中のジェットに至るまで一つ一つ全てから水分を取り除きます。湿度が高く自然乾燥では時間がかかるので、キャブレターからエンジンにつながるパイプやエキゾーストパイプも取り外して水分を拭き取ります。今だから言えることですが、エキゾーストパイプのカーボンダストを取るのはちょっと楽しかったです(この楽しい作業のせいで後ほど部長の手は真っ黒になりますが、この時点で僕の手も真っ黒です)。
この拭き取り作業が終わる頃にはエンジンが浸水して既に5時間。流石にその他の部分も乾いてきていました。しかし、エンジンの中までは確認できていないので不安でした。結局全て終わって再びエンジンをかけれる状態になったのは午後1時を少し過ぎた頃でした。既に本戦まで1時間を切っている中で、運命の時を迎えます。この作業が最後に希望でした。ここで、この日ずっとエンジンの機嫌を取り、作業した僕や部長の心には最も恐れていることがありました。
―もしこれでもエンジンがかからなかったら?
しかし、やらなければなりません。やるしか無いのです。僕が責任を負って電装を引いたマシンが無念のリタイアをして1年。リベンジを誓って鈴鹿に来たのです。正直恐怖を感じていました。4年間部活をしていてここまでの恐怖はそうありません。そんな状態ではありましたが、キャブレターを再び取り付け、バッテリーも繋ぎ、メインスイッチを入れ、僕がセルのプッシュスイッチに指をかけました。僕の全てをかけた瞬間でした。祈りながら押し込むとセルが回り、それまでセルしか回っていない状態で500rpmしか示さなかったタコメータが一瞬1000rpmを超える値を示しました。きた!と思いました。ほぼノータイムでスロットルにかけていた手を少しだけ握り、煽ってやったその瞬間…
これまでずっと聞きたかったエンジンの吹け上がる音が。50cc単気筒のカブのエンジンがこれほど力強く、心強く聞こえたことはありません。歓喜。部長も僕もガッツポーズが無意識に出ていました。嬉しさがこみ上げてきて何も考えられませんでした。他の部員や見に来てくれていたOBの方や先生がどんなリアクションをしたのか僕には全くわかりませんでしたが、次の瞬間には差し出された部長の手にカーボンで真っ黒になった手で握手していました。
ここでようやくマシンが出走する準備が出来たのです。後はこの整備のために外したカウルを付け直し、ドライバーへの通信の調整をして14時の出走時間を待ちます。
競技会本番 ―エコランは甘くない―
午後2時、本番を迎えました。この頃には雨も上がり、不安要素は少なくなっていました。無事にマシンがコースへ出ていく姿を見て、僕の気持ちは次へ向いていました。記録を目指すことに。競技が始まってからの僕の役目は残り時間を計測し、ドライバーに目指すペースを伝えること。規定時間内のゴールを目指すならLAPタイムは最低でも5分以内。可能であれば4分台前半でした。1周目は7分以上かかり不安を感じていました。もしかしたらエンジンの調子が悪いのではないか?ドライバーはコースを探りながら走っているということなのでそのせいだと思いました。なにせドライバーはこの時初めてマシンを動かし、鈴鹿のコースを走っているのです。無理もないと思いました。しかし、レースゲームで走り込んできたというのは本物らしく2周目には、ほぼ5分フラット。3周目には4分20秒台という驚異的なタイムを出しました。雨は止んでも、依然ウェットなコースコンディションの中で、素晴らしい走りを見せてくれました。僕達計測メンバーがいたのはピットウォールの一番前。大会運営の無線が聞こえてきます。オフィシャルが続々とリタイアを知らせてくる無線を横で聞きながら不安は的中してしまいます。
5周目を走行中マシンが突然停止。無線のやり取りをしていた部長に状況を聞きながら解決策を考えます。きっと学校の定期テストよりも僕の頭は高速で回っていたことでしょう。ドライバーの報告によると、エンジンは問題なさそうだが、動かないとのこと。つまり駆動系のトラブルで動力が車輪に伝達されていないということだった。こちらはチェーンの問題と判断し、ドライバーに伝えます。スタート前は「何か起きても僕は直せませんよ」とか言っていたドライバーも必死の作業で外れたチェーンを掛け直し再び走り出します。この周は22分。作業をしていたので当然ですが、ここで時間内のゴールは極めて困難になりました。チェーンのトラブルが起こったことは過去にも試走や本戦でありました。しかし、ドライバーには予備のチェーンもそれ用の工具も渡してはいません。なんとかあと少しを走りきってくれることを祈るのみでした。
この時点で規定タイムを超過、最後まで走らせたいし、ドライバーもその気でいましたが、レギュレーションには、「タイム超過した車両はその周回でピットイン(競技終了)せよ」とあるのでマシンをピットへ入れることになり、騙し騙しでも帰ってきてもらうことになりました。
しかし、エコランはそんなに甘くはありませんでした。6周目、再びトラブルが起こります。ダンロップコーナーの中ほどでマシンが止まってしまいました。エンジンはかかり、動くものの、トルクが全く生まれず、上り坂を登ることができなくなってしまいました。この時点での僕の気持ちはただ一つ。
―今年こそは自力で帰ってきてくれ
詳しい無線でのやり取りは僕にはわかりませんが、オフィシャルの助けを受けながら(この助けというのは恐らくですが上りで止まるとマシンが落ちてしまうし、エンジンはかかっているのでトルクさえあれば登れる。そこでコースオフィシャルがマシンのリアを支えてくれているのだと思います)復帰を試みましたが、結局復帰は不可能と判断し無念のリタイアをするという決断を下しました。
無念のリタイア ―苦渋の決断とその後―
結果としては、2年連続でのリタイアとなりました。リタイア届を提出し、マシンとドライバーが帰ってくるのを待ちました。ドライバーが先に帰って来てまずはその労をねぎらいました。ドライバーはとても申し訳なさそうにしていましたが、僕は、「何かあっても直せない」といっていた彼がコース上で必死に作業をして一度は立て直したその姿を想像すると感動すらしていました。
今年は珍しく自分たちでマシンを回収していいということだったので僕と部長と後輩の3人でコースに入りマシンの回収に行きました。行ってみるとマシンはダンロップをもう少しで越えるという位置にありました。その場所で最後まで戦い、リタイアしたドライバーの思いは察するに余りあります。マシンを迎えに行ってそこで涙を流す部長の姿を見て、「僕はこの人の最後をゴールで飾ることすらできなかったのか」と思いました。一つ上で一番長く一緒に戦ってきた先輩でしたから僕も泣きそうになりましたが、ドライバーがずっと謝っていたので涙は我慢することにしました。
コースへ迎えに行ったときのマシン
上の写真ではわかりませんが、リアカウルは左右ともに剥がされ、作業の跡が伺えます。そんな満身創痍とも言える状態でマシンはピットに帰ってきました。
戻ったピットでは簡単に確認が行われましたが、その際に、タイヤにつながっているチェーンのテンションが以上に弱いことがわかりました。詳しい原因究明は週明けから行いますが、必ずこの経験は無駄にはしません。
最後に
僕が入部したときにいた先輩方は皆エコランからは(部活としてはまだ未定ですが)引退になります。来年は僕が引っ張ることになるとは思いますが、来年は新たなカウル、シャーシ、エンジンで望むことになる予定です。これまで2年間に経験した数多くのトラブルとリベンジの気持ちを胸に、来年こそは、記録を残せるマシンを作って鈴鹿に戻ってくることを誓います。
記録が残らなかったこと、僕が尊敬する先輩方に記録を残せなかったことは無念ですし、自分の技量不足を痛感するところではありますが、僕はこのブログ記事を書きながらものづくりのすばらしさを感じています。トラブルを乗り越え、喜びと悲しみを共に苦労した人と分かち合うのはものづくりの醍醐味ではないでしょうか。結果はついてこなかったけども、そこに至るまでの過程を経験、糧とすることが新たな挑戦への原動力となることでしょう。
この場を借りて応援してくださり、当日会場に足を運んでくださったOBの皆さんと最後の大会になった先輩方に改めて謝意を表します。ありがとうございました。
ここまで長文読んでいただきありがとうございました。
秋のDDCと来年のエコランにご期待下さい!